現場の真実<2>苦情メール   

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「お説教めいてごめん。
ただ何となく、山田君、嘘を付いているような気がしてね。
昔話で、少年が狼が来たぞーと何度も嘘を付く話を思い出して。
山田君がそうだと言うわけではないけど。

私ね、今でも忘れない嘘をついたことがあるの。
最初に嘘を付く時は、ドキドキしたんだけど、
成功すると、これはいける、なんて思っちゃって。

大学の時の代返がそうなんだよね。
成功しそうな先生の時、友達から軽く、代返お願い、なんて言われて。
断れば良かったんだけど、成功している人の様子を見ていると一度はやってみたい気持ちになって。
今でも覚えているんだけど、心臓が飛び出すんじゃないかと思うぐらいだった。
そこで、聞こえるか聞こえないような声で返事をしたら、
先生、そのまま次の人の名前を呼んでいったの。

成功だー。
嘘を付いてはいけないと思っていても、成功するとね。
でも、この時だけで、あのドキドキする気持ちはもう味わいたくないとやめたけどね。

それが、最近嘘を付いたことがあるの。
山田君には、ばらしちゃうけど。
先日、出勤時間に遅れそうになって、ユニフォームに着替えてからじゃないといけないんだけど、
誰も見ていなかったので、着替える前にタイムカードを押してしまったの。
今まで内緒にしてたんだけどね。
ゴメン、つい言っちゃった」


山田の表情は変わることはなく、沙希とは視線を合わせなかった。

「山田君、ごめんね。
引き止めて。
ちょっと気になったので。
疑っているような言い方してごめん」


山田と沙希は、店を出た。

山田は、ほとんど口を開かなかった。
表情も変わらず、気持ちを読み取ることもできなかった。

沙希は山田と別れた後、ため息を付いた。

これで良かったのだろうか。
思い切って話はしてみたものの、沙希の気持ちは暗かった。


あくる日、仕事に来た山田の顔は暗かった。
「おはようございます」とは言ったが、ほとんど視線を合わさない。

『あんなことを言わなければ良かった』


沙希は後悔した。

山田に話しかけようとしても、今は、何を話したら良いのかわからない。
遠目で山田の様子を伺うようなことになってしまった。
数日して、店長から、山田が体調不良から店を辞めたいと言ってきたことを知らされた。

「えー、そんなことを山田君は言ってきたのですか」

沙希は、ここまでになるとは想像していなかった。
だが、あの時から、明るい山田はいなくなっていた。
目付きも、若干きつくなったような気さえする。

『わたしが、あんなことを言わなければ、山田君は、辞めるとは言わなかったのではないだろうか』

沙希は、動揺を隠せなかった。

『私のせい?』

店長から話を聞いた後、ますます山田の傍には寄れない気持ちになっていた。
だが辞める前に、どうしてもあることを聞きたい衝動に駆られた。


今日で山田が辞めるという日。

山田の終業時刻が来た時、沙希は思い切って山田の傍に行って話しかけた。

「山田君」

山田を目の前にすると、この後の言葉が出なくなった。
今まで押さえていた感情「わたしのせい」という思いが噴出し、涙があふれてくる。
山田は、静かに、ほとんど表情を変えずに言った。

「先日は、ありがとうございました。
いい勉強をさせていただきました」

この言葉を聞いた後、ますます沙希の目に涙があふれた。


山田は、店を去っていった。

何が真実かはわからない。
先日のようなことを言わなければ、山田は、去ることはなかったのではないかとは思う。
言わなければ良かったのか。

真実を追究することが必要か、逆に真実を追究しすぎてしまうことは良くないのか。
今回は、どうだったのだろうか。

沙希は、山田に話をせず、そのままの状態が続いた時を想像した。
本当に病気なら、直ればまた元のように一生懸命働く山田になったことだろう。
だが嘘なら、嘘を付き続ける山田になっていったのではなかろうか。

良かったのか良くなかったのかはわからない。
だが、沙希にとって、心に強く刻まれる出来事になったことは確かである。

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